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2017年8月11日 (金)

義母さんのこと


こんにちは、Mです。
今日東京は涼しくて過ごし易いです。

さて、私のことにも少しだけ書きましたが、今日はこのブログによく登場する義母さんについて書きたいと思います。

義母さんには元旦那と同棲中確か私が20歳くらいの時に初めて会いました。
着付けの先生をしていて家のことは完璧にやるとても厳格な人。と聞いていたので初対面の時はとても緊張しました。

その日
元旦那が会社から魚をもらってきたのですが、大量な上に私は魚なんて捌けない。
急遽義母さんを呼んで対処してもらうことになったのです。
初めてお会いした義母さんは、私が想像していたキリっ!びしっ!という感じとは異なり、明るく初対面の私に気さくに話し掛けてくれ、魚の捌き方まで教えてくれました。

早い段階で実家を出ていた私にとって、とても新鮮で、何だか嬉しい出来事だったと記憶しています。

元人見知りをしない性格だった私はその日から義母さんと仲良くなりました。

掃除や片付けが苦手だった私に決して強制するわけではなくやり方を丁寧に教えてくれたり、元旦那の愚痴を聞いてくれたり、一緒に出掛けて美味しいものを食べたり、ショッピングしたり

お母さんは娘が欲しかったから嬉しいわ〜。そんな風に言ってくれていました。

ただもちろん良いことばかりではありませんでした。

気が強い私と義母さん。
意見の食い違いがあって険悪になってしまうような出来事もありました。
何度も。

でも、その時は何も言わなくても後になってあの時はこう思っていた。ときちんとお互いの気持ちを話せ、それなら今度からこうしていこうね。とちゃんと言い合える関係だったのです。

娘が生まれてからもそれは変わりませんでした。
娘のことが大好き過ぎて少?いや、かなりお義母さん!やり過ぎ!と思うことも多ありましたが、それも年数重ねるにつれこれが義母さんの愛情表現なんだこれはこれでいい!と思えるようになりました。

義母さんを軸に私、娘、義父さん、元旦那の調和がうまく保たれていました。

私は自分の家の事情、私自身の本心をほぼ全て義母さんには話していました。
何かあって私のダークな部分をさらけ出しても、実母と違い決して端から否定することなく私の気持ちを受け入れ何時間でも話しに付き合ってくれました。

本当に本当に大好きでかけがえのない人です。今でも。

2016年の5月、娘が本格的に中学受験に向けて動き出しました。

それまで、春休みやGW、夏休み冬休みなどの長期の休みの間娘はまるまる義母さんの家に滞在していました。
何かある度に娘を預かってくれてお世話してくれていたのですが、その時間が極端に減りました。

義母さんや義父さんはとても寂しそうでしたがそれでも娘がやりたい!と言ったことを応援してくれ、時間を見付けては一緒に出掛けたり、泊まりに来てもらったり、泊まりに行ったりしていました。

2017年2月。
前から時間が空いたらディズニーリゾートに行こうねと約束していました。
が、詳細を決める直前、娘が約束を守らない、嘘をつき私を怒らせる事態になりました。
とてもじゃないけどディズニーランドに行って楽しむ気分になれない
そう思って義母さんに申し訳ないけど先送りにして欲しい。と言いました。

その時、いつもなら私の心情を察し理解を示してくれる義母さんが珍しく感情剥き出し状態になったのです。

娘と遊びに行くことをまた私に我慢させるの?!

正直、そんな言葉が返ってくると思っていなかった私はビックリしてしまいました。
確かに、確かにこちらの都合で前より制限をかけている状態。
でも、それも全て理解してくれている。と思い込んでいたから

我慢させてしまっていたのは解っていたけれど、申し訳ないと思うけど、でも、それは私も同じで
私だって自分のやりたいことを我慢して今娘のことを応援しているのに

今思えば私も私で自分本位な考えが先に立ってしまって義母さんの気持ちを思いやることが出来ませんでした。

どうして急にそんなことを言ったのか

こじつけかもしれないけど、もしかしたら感覚でこれを逃したらもう一緒にどこか行けないと義母さんは解っていたのかもしれません。

結果、私が折れる形で出掛けることになりました。
2月26日、この日が義母さんと娘と3人で一緒に出掛ける最後の日になってしまいました。

この少し前から義母さんは喘息の発作が頻繁に出ていたようです。
毎年季節の変わり目などに喘息が出ることは知っていました。
でもその都度お薬でどうにかなってきていたし、何より義母さん本人が大丈夫!と言っていたので然程心配はしていませんでした。

だけど、この日はなんだかちょっと違うそう思っていました。
いつものように元気ハツラツ!な感じではなかったこと、ちょっと歩くとぜーぜーしてしまっていたこと、食欲がなかったこと
いつもより気に掛けながら回っていました。
夜のパレードを見終わった後、いつも自分から帰るとは言わない義母さんがそろそろ帰ろうか。と言いました。
やっぱり体調悪いのかな?疲れちゃったかな?そう思い早にディズニーランドを出ました。

義母さんは電車、私と娘は車。
それぞれ違う方向だった為ゲートを出たところで別れました。

妙な感覚がしたんです。
毎度何ら変わりないバイバイ!気を付けてね、またね。だったはずなのに、その日は駅に向かうスロープに向かう義母さんが暗闇にす〜っと吸い込まれていってしまうような
義母さんの背中がいつもより小さいような
なんとなくもの寂しい気分になったのを覚えています。
でも電車に乗りました。楽しかったです。というメールをもらって、何よりこれから何か嫌なことが待っているなんて思いたくなくてその気持ちを勘違いで済ませてしまったのです。

3月3日、4日。
娘が義父母さん宅に泊まりに行きましたが、その時はただ迎えにきてくれた義父母さんに娘を引き渡すのみでゆっくり話をする時間がありませんでした。
送ってきてくれた時も同様。
3月4日が私と娘が元気に話をする義母さんを最後に見た日になってしまいました。

3月19日。
何だかバタバタしてしまいなかなか連絡を取ることが出来ずにいました。
この日の夜にポッと時間が空いたので久しぶりに電話をしました。
相変わらず喘息の発作が出ているとのこと。
今年は長引いてるね。と言いつつでもいつものことだしお薬あるから大丈夫よ〜。という義母の言葉をそのまま鵜呑みにしていました。
この時にしてもちょっと長いから1回ちゃんと病院行きなよ!って言っていたら何かが変わったでしょうか
この時まだ4月の予定が出ておらず予定が解り次第すぐに連絡するからね!と言って電話を切りました。

この日が義母さんの声を聞いた最後の日です。
2017年3月22日

とてもよく晴れていた日だったと記憶しています。
水曜日は1週間のうち一番忙しい日です。
でも、その日はちょっとだけ余裕があったので午前中は少しゆっくりしようと思いスマホをいじっていました。

すると義父さんから着信。
珍しいなぁと思いながら、先日義母さんがお父さんだってMちゃんの電話番号知ってるんだから娘に会いたいなら直接お父さんがMちゃんに電話したらいいのにねぇ!と言っていたのを思い出しそれで早速掛けてきたんだなと思い込んでいました。

だからもしもし〜おはようございまーす。となんとも能天気な声で対応したのです。

ところが

Mちゃん義父さんの声が何だかおかしい

え?どうしたの?軽くパニックになりながら、嫌な予感を払拭するかのような声で聞きました。

お母さんが倒れて、今救急車で病院に行くから。

頭の中は一瞬にして真っ白に。
やっと出た言葉は嘘でした。

こんなこと嘘ついてどうする?義父さんの少し怒ったような声で我に返ります。

えそれでお義母さんは?

急に意識を失ったこと、息子に知らせて欲しいということ、そして

心臓が停まっているということ

何が何だか解らないまま、とりあえず現状とこれから私がしなくてはいけないことを聞き電話を切りました。

続きます

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